皆様こんにちは。
代表を務めます長坂でございます。代表を拝命致して26年を迎えました。
私は建設産業を志してと言うよりは、生まれた環境が土建屋さんでしたので自然にこの稼業を受け入れて来ました。もちろん現場でも15年ほど経験を積ませて頂き、早いもので40年以上、人生の全てを建設畑で通してきました。建設は字の如く作る事が主流です。小さな事から大きな事まで全てを完成まで請け負うこの醍醐味は、中々他産業では味わう事の無い職種と言えます。工事に携わった道路を通る時は当時の苦労が脳裏を過りますが、思い出はかなり色濃く自身の良い歴史として刻まれています。昨今は非常に技術革新が進み私達の施工した頃より機械・設備等も進化していますが、基本的な事は間違い無く変わっていないと思われます。
弊社は小企業ですが、より良く働ける環境造りを心がけて「安心・安全」な地域造りの為の奉仕の心を忘れず、楽しい未来への志向を考えながら進んで行きたいと願っています。
~百周年に寄せて~
弊社は1922年大正11年に創業されました。
稼業自体は、長坂民蔵(初代)が三河幡豆の倉松新三郎の名代として西南の役に参戦し、その後大倉組(現大成建設)の野口氏名義人として、明治12年(1879年)に長野入りをしました。長坂助三郎(明治23年1月10日生)が稼業を継ぎ、後に民蔵を襲名しました。その第2代民蔵翁が飯田土木事業組合を設立するなど、(株)三六組は38人の出資で仕事を分け合う集団を造り上げ、民蔵翁の長男・長坂晃が出向し、後の弊社第2代目の社長に就任し、実に40余年に亘り社長業を続け、現在の代表である長坂亘治が平成8年(1996年)より現職として引き継いでいます。(株)三六組の設立と商号改名は昭和22年(1947年)に行ない、稼業としては百四十年を超え、創業からは百年を経過致しました。過去現在も山積する諸課題を乗り越え、艱難辛苦の日々も持ち前の忍耐と努力によって克服して来たと言っても過言では無いと思います。この街で多くの人に支えられ支援された事は大変な宝であり財産でもあります。
新たなページを開く時代に入ろうとする当地は、「リニア中央新幹線飯田駅」「浜松を結ぶ三遠南信自動車道」など歴史を改変する一大事が目の前に迫っています。弊社がこの街の光明となるかは私達に委ねられていますが、いつの時代にあっても明るく前向きに「この街・飯田」の輝ける未来を信じて邁進する事と覚悟しています。
弊社百周年にあたり、今後も変わらぬご愛顧を賜りたく切に懇願し、更にご指導を頂けますよう重ねてお願い申し上げます。